剣豪とフルーツの里錦町
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剣豪「丸目蔵人佐(まるめくらんどのすけ)」

丸目蔵人佐(まるめくらんどのすけ)の絵

【丸目蔵人佐長恵(まるめくらんどのすけながよし)・タイ捨流創始・相良藩剣術指南役】(1540〜1629 )肥後八代郡人吉に生を受ける。幼い頃から剣の修行に励み、16歳の時、大畑合戦で初陣を飾る。翌年、天草の本渡城に身を寄せ、天草伊豆守から中条流を学んだ。19歳になると、当時最強と謳われた兵法者、上泉伊勢守(新陰流始祖:竹刀の原型を発明し、技術水準に応じた段階的な修行方法を構築するなど、今日の剣道の基礎を築いたとされる)に挑むために上京。しかし、あえなく敗退しそのまま新陰流に入門した。その後、28歳で上泉から印可状を受け、3度目の上京の後、タイ捨流を興した。「タイ」とは、大、太、体、待などの意味を持ち、これを捨てた「自在の構え」を旨とすると言われている。